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WINCARS KURUMAYA KOZO
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Konaさんくるまよもやま話

 

 11.近境ドライブ

 大昔のクラシックカーで何年かかけて世界一周したフランス人が居て、日本も東北から九州まで縦断したらしい。
帰国後世界一周でいちばん走ってよかったところはどこかとメディアに聞かれて日本と答えたそうです。えっ? どうして?
と日本人は思うかもしれませんが、世界の風景をそこそこ知っているわたしは当然だろうと思う。

走ったのはだいたい日本海側の国道で、中国地方も九号線です。田舎の風景と道路。
とすれば日本が素晴らしい国なのは当りまえで、現われては過ぎ行く変化の多い映画で盆景のような田園と
日本の道路は田舎に行けば行くほど立派だし、山奥でも海の辺境でも人家があり
ガスステーションも駐在もあってトラブルが起きても困らない。
日本の田舎は世界一。しかし日本を訪れる外国人ツーリストはほぼそのことを知りません。
レンタカーで田舎に行くことはなく都会や京都や宮島のようなポイントしか知らないから。

東広島近辺の田舎の優美さは最高ですが新幹線の窓からはトンネルと防音壁でほとんど見えず
広島空港からリムジンバスに乗ってもやはり防音壁で見えません。
車で地方を走らないとその土地のことは分からないというわたしの持論です。

タイのチェンライはタイ北部のチェンマイよりさらに北で
そこで借りたレンタカーは走行十三万キロくらいのニッサンサニーでした。
日本ではすでにサニーをほとんど見なくなったころです。
ノン(妻)と幼稚園児だった娘と一緒に中国ビルマ国境の山岳地帯まで行きました。
かつて麻薬王クンサーの支配していた辺りで、タイ政府が制圧するまでは入境が許されなかった地域です。

山岳の悪路を予想していたら、じつに快適な舗装道路がどこまでも続いてサニーを飛ばしてゆきました。
ところどころマシンガンを手にする警備兵は居て
あとで知ったのですがそのあたり今もガイドなしで勝手に行ってはいけないのでした。
兵士の検問を受けることがありましたが、水戸黄門の印籠のような日本のパスポートをチラッと見せれば何の問題もなかった。

中国国民党軍の残党が戦後ずっと支配していたという山の上のメーサロンという村に行ってみたら
案外簡単に着いて村と言うより立派な町でした。
雰囲気は昭和三十年代の日本の町で、食べ物もタイ料理ではなく日本的でした。

黒服に頭のてっぺんから足先まで金銀と極彩色の装飾に包まれた女たちが
町はずれでお祭りで飛び跳ねていました。一帯にはその山岳少数民族の村々もあります。
掘っ立て柱の壁のない家で日本の弥生時代のような村。
象が居たので乗りましたが、少数民族との直接交渉はできず(少数民族の人たちは外部の人を異様に恐れる)
たまたま来ていた中国人ガイドの仲介で乗せてもらったのです。

日本の隣の台湾にも山岳少数民族村があります。
十四年前の話で、なぜ覚えているかといえばそのときノンは妊娠七ヶ月
そのときのおなかの子が今十四歳だから。
台湾にはニッサンの合弁がありマーチが多かったのですが(二代目の丸いマーチ)
レンタカーもオンボロマーチでした。台湾にはルノーの合弁もあるのでルノーの車も多かった。
フランスは独自外交の国で中国が中共と呼ばれて疎外された時代は中国と
各国が中国を承認してからは逆に孤立した台湾と密接な関係という不倫のような荒業をやっています。

軍艦や戦闘機をフランスは台湾に売っており(!)、台北の高速鉄道もフランス製で
新幹線もフランスで決まっていましたが、どんでん返しで日本の新幹線になった理由は知りません。

桃園国際空港から南下し、昭和三十年代の日本をほうふつとさせるシーンの多い
ホオ・シャオシェン(侯孝賢)の映画の風景を追って田舎を走りました。
台湾の南端まで走って一周するつもりでしたが台中まで来て日程的に無理と分かり
二水、集々、日月湛、哺里という日本的な町や村を経て西海岸から東海岸に横断することにした。
台湾は九州と同じくらいの大きさですから熊本から宮崎に抜けるくらいの気持ちでいたものです――
それがたいへんなことになったんです。

山岳少数民族のゾーンに入りパスポートチェックがありました。壮絶な山岳道路でどんどん登ります。
分かれ道も下りもなく、ひたすら一本道を登りました。
森林限界も超えて荒涼とした崖の道。なんとなく空気が薄くなって不安でした。
ノンは妊娠中でしたから。やっとのことで峠に着いたら標高三千二百五十メートルの表示があった。
富士山頂とあまり変らない標高です。ノンのおなかの中で子が暴れました。
空気が薄くてもマーチはちゃんと走ります。

その後はひたすら必死の下りで千尋の谷の淵を飛ばします。
千メートルくらいありそうな断崖絶壁です。ガードレールではなくコンクリートの低い塀で
ところどころ車がぶち抜いたくらいの大きさに壊れていました。
いったいいつになったら下界に出るのだろうと走り続けたら
日本人の観光でも有名な太魯閤の石灰岩の大峡谷に出ました。

インドネシアのバリ島は観光の島ですが、レンタカーで行くと百年前の日本のような辺境があります。
車は一度目はトヨタのスターレットで、二度目のときはスズキのエスクードでした。
エスクードと言っても、たぶんインドネシア製でものすごいアンダーパワー。
マニュアルシフトを必死に引っ張って坂を登ったものです。
途上国の車はだいたいアンダーパワーですが、コストダウンと中身より見かけ重視のためでしょう。

放し飼いの鶏や豚や犬を蹴散らすように山岳道路を延々と走り
たどり着いたビーチぎわの宿は屋根も壁も椰子の葉の二階建て戸建てヴィラ。
「cheap hotel」というイギリスの本を見て行ったのですが
その本のチープホテルは世界の辺境宿がほとんどでした。
電気もないと書いてあったが実際には裸電球がひとつありました。
なんの設備もなくからっぽですが、清潔でここちのよい寝具はあります。
トイレは屋根がなく、雨降りのときは裸で行けばよいのです。
シャワーは熱帯植物の生える崖から落ちてくる滝で
わずかに暖かい温泉でした。
昼間は目の前のビーチをアウトリガーの素朴な釣り船が百艇以上びっしりと埋め尽くしますが(夜は漁に出る)
ふんどし姿の漁師たちは柵も何もない宿の領域には絶対に入って来ません。

ちなみにこの宿のオーナーは日本人でした。
激しいスコールの中をアンダーパワーのエスクードで行くと
森の道端に点々とつながれたヤギも頭上に荷を乗せて歩く半裸の女もずぶ濡れで霞んで見えた。
漁民の定住策で建てられた民家の軒下で博打を打つ男たちの姿もあり
ホンコンの濡れた闇を描くウオン・カーアイ(王家衛)の映画を見るようでした。

こんなことを書くと、とんでもない冒険をしているように思われるかもしれませんが
妻子ともども服装もいつでもどこでも普通によそ行きで
特別な思いも準備もなく、なんとなくイメージのままふつうに走ります。
ふだん生活する広島郊外の感覚で、それでいてワープするのがおもしろいのです。
情報ではなく人そのものをワープさせるのです。
飛行機とレンタカーのおかげなので、人類の発明品の中でいちばんステキなものは飛行機と自動車だと思う。
インターネットで人は運べません。


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