WINCARS KURUMAYA KOZO
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市街地で自動車と切れない関係にあるトラムについて書いてみます。
路面電車ですが、日本では定義があいまいなので欧米式にトラムと書きました。
日本には法的に鉄道と軌道があり、軌道がトラムですが
京都の京福電鉄や都電荒川線のように路面区間がほとんどない軌道電車もあり
逆に京都と滋賀県大津を結ぶ京阪電車は鉄道法の四両編成の電車が
大津市内では自動車と一緒に街路の中央を堂々と走っています。
広電も鉄道法の宮島線を軌道法の市内線用車両がそのまま走っている。
鉄道、軌道に関係なくトラムとは市街地の街路を走る電車なら、日本語で「市街電車」、略して「市電」と呼びたい。
このごろLRT(ライトウェイトトランジット)と呼ぶこともあるのですが
それではあまりに専門的でオタクです。
ヨーロッパは市電の故郷で昔はどこの都市でも走っていました。
路上で自動車と共存できず邪魔者扱いされて消えて行ったのは日本と同じです。
とくにフランス人の合理精神では邪魔だったのかフランスではほぼ全廃されました。
ドイツやオランダベルギー、北欧、東欧で市電が生き延びたのは採算度外視の「社会福祉」の発想があったと思う。
ところがこのごろのようにエコロジーが潮流になると、鉄道王国のフランスは
市電をかっこよく走らせことが都市のアイデンティティになり
フランスと言う国のプレゼンになると考えて国家上げて、と言っていいくらいの勢いで
フランス全土の二十都市で復活させています。
パリ市内でも数か所で石畳の街路をじつに美しい連接車が走っているし
南仏ニースでは市街の内陸部から華麗なリゾートホテルの並ぶ海岸までトラムを走らせ
トラムを都市の芸術的な装置と考えているようです。
フランスの電車なので音もなく滑るように走り
車内も機能的でドイツや日本製に比べて一日の長がある。
絵になるように線路を敷いて街の風景も修景演出していますし。
1973年だったと思うが第四次中東戦争で石油危機が起きて
その前後のヨーロッパのモータリーゼーションに革命的な変化が起きました。
それまでは自動車が地上の王のように君臨してヨーロッパの都会に駐車禁止などなく
どこもかしこも車だらけで大混乱の中を人を蹴散らすように飛ばしまくっていたのに
73年以降は速度制限が厳しくなり駐禁の場所も増え、歩行者道路もできて車優先の考えに反省が生まれたんです。
そしてエコロジー全盛の今のヨーロッパの変化も革命的です。
すこし前まではヨーロッパではタバコが文化で、どこでも煙と香りがモウモウでしたが
今はタバコを吸えるところがほとんどないのと同じくらいの過激な変化で車も悪者扱いされているといっていいほど。
ヨーロッパの車の栄光は歴史になろうとしているくらい。
とは言い過ぎで、今も車は日常の足として生きているのですが、車の価値観の変化が日本以上に大きいのも確かです。
そういうわけの市電です。欧米では市電の再評価が凄い(自転車の再評価も凄い)。
世界的に見れば日本はこれでも市電が生きているほうです。札幌から鹿児島まで十数都市で走っていますから。
電停に立って電車の来る頻度が世界一なのは広電。
鎌倉の江ノ電だって奇跡なくらいの電車ですし、長崎も松山も札幌だって市電はおもしろい。
社会福祉で生きたのではなく、ローカルな利権でなんとなく生き延びたという感じですが。
でも、これからは日本の町もヨーロッパの発想も取り入れて自動車と共存共栄の線路の都市風景を作れたらと思う。
広電もすこし路線をふやしてもよい。
沖縄の那覇市はモノレールを作りましたが、ヨーロッパの発想ならあんな不細工なモノレールではなく
国際通りを歩行者とトラム専用にし、首里まで市電にしたはずです。
じつは路上に線路のある風景に関心があって、若いころ日本各地の路面電車を見て回った時期があるんです。
いちばん印象的だったのは今はなき西鉄北九州線で、小倉から門司港までカーブの多い旧国道の路面を
市電が飛ばして行ったシーンが忘れられません。
市街だけでなく宮島のようなところでも宮島港から包ヶ浦まで単線でよいから線路を敷いて
三十分間隔くらいで電車を走らせるくらいはしていい。
世界遺産の島のビーチですからね。乗る人が居るのかと言うのでなく乗る人が居るようにしないと宝の持ち腐れです。
路面の線路も車の文化の一端です。