WINCARS KURUMAYA KOZO
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今日はルマン二十四時間レースのことを書きます。
船が好きで、欧米に行くとマニアックでステキなボート、小船、ヨットが多く、さすがの船の文化です。
広島には雰囲気のあるボートがほんとうに居なくなりましたね。
瀬戸内海と市内の六本の川があり、日本でも有数のボート文化のヒロシマだと思っていたのですが。
海軍の世界三大兵学校はイギリスのダートマスとアメリカのアナポリスと日本の江田島で
ダートマスとアナポリスが今もボートマニアには聖地で無数の豪華クルーザーとヨットが浮かんでいますが
同じようにかつて聖地だった江田島湾にボートの姿はなく、そのかわり無数の牡蠣いかだです。
廿日市旧港に福山鞆港のようなトラッドな雰囲気のあったころ
木造の美しい伝馬船にディーゼルを乗せたのが係留されてあって、欲しくてたまらなかった。
乗っていたオジサンに声をかけたら「太刀魚を釣るのにいいんじゃ」と言って譲るとは言われなかった。
わたしは釣りを一切しない、オジサンも釣りより船そのものが好きだったんでしょう。
ヨットに乗っていたころもヨットのレースとは無縁でしたが、なおさら車のレースに行ったことがなかった。
ルマン二十四時間には一度行きました。
初めてルマンに行ったのは大聖堂を見に行ったので
ルマンはレースばかりが有名だけれどシャルトルやランスの大聖堂に引けをとらない立派な聖堂がある。
美しい旧市街のある居心地の良い町です。
二度目のルマンはレースです。
車好きマツモトカンジと男二人でヨーロッパに行ってしまったことがあり(呼び捨てにしているけど彼はわたしと一歳違い)
南回りでやっとウイーンの空港に着いたところでカンジが
「今日、ルマンのレースがあるんだけどどうしても見たい」と言い出したのです。
正規運賃の航空チケットを買って着いたばかりのウイーンからパリまですぐに飛びました。
レース会場に付いたのは夕刻でスタートが何時かは忘れましたが、もちろんすでに始まっていました。
そして六月のヨーロッパですから十時十一時ごろまで明るい。
カーレースをテレビ以外では見たことがないので一概には言えないのですが
ルマンの会場に着いて思ったのは、これはレースではないなということでした。
それなら何かと言われれば「祭り」です。なにしろ二十四時間やっているのでレースをじっと見守る人はほとんど居ない。
レース関係者はもちろん一秒も気を抜かず必死でしょうが
全貌のつかめない長大なコースをレーシングカーは見せ場もなくひたすら周回する。
祭りで町を周回する山車のようなものですね。
全長十三キロのコースの内側に日本の縁日にそっくりな雰囲気で飲み食いの露店
グッズの露店などドロドロと並んでヨーロッパ風の高貴というよりも、すごく大衆っぽい雰囲気でした。
モナコのF1だと旧港に船尾付けしたクルーザーのスタンデッキで
シャンパーニュでも酌み交わしながら優雅に過ぎ行くレーシングカーを見るセレブの文化も有るのでしょうが
ここは農業国フランスの農業祭と言ってよいような、そこにトラクターの展示があってもおかしくないカトリックの土俗の雰囲気。その祭りを盛り上げているものは夜を徹して聞こえる人間の魂をゾクゾクさせるエンジン音の雄たけびです。
ウイ――――ンウイ――ンとものすごい音で聞こえてくる。
ホモサピエンスの原始の魂を呼び覚ます音響でした。
それぞれの車の中で火が燃えているのが想像できました。
レース会場に居たのは夕刻から次の日の十時くらいまで、十五、六時間だったと思います。
夜の夜中、男二人広い会場内をおいしくもない屋台食をつまみながらほっつきまわっていたんです。
もちろんマツダは参加していて総合優勝する二年くらい前でした。
カンジはマツダのレースエンジニアに知人が居ると言ってピット券をもらいに行き
すぐ下がピットと言う特別席でもレースを見ました。
すでにマツダの787がルマンで伝説になっていたころ、わたしのそばの席には徳大寺さんも堂々たる貫禄で座っておられた。
ベストセラー「間違いだらけの――」の絶頂期でしたが、マツダをけちょんけちょんにけなす評論家が
マツダのピットの主の風情で居られたのが興味深く思われました。
ちなみに「間違いだらけの――」が大ヒットした理由を書きましょうか。
まず大衆を納得させる文章の巧みさがありました。
司馬遼太郎さんのように。司馬さんはフィクションを史実のように書くし
明らかな誤認も多いのでプロの歴史家からは評判が良くなかったのですが
作家小説家としては上に出る人がありませんでした。
徳大寺さん、司馬遼さん、筆名が大仰なのも共通です。
それまでの自動車評論はマニアックで技術的なものが多く、トヨタをほめては車のプロの了見が下がる
ほめるならマツダやミツビシのような職人魂のメーカーと言う傾向があった。
ところが「間違いだらけ――」はトヨタやホンダを堂々と絶賛したんです。
売れている車をとくにほめる。逆に経営的に落ち目だったマツダなんかはけちょんけちょんでした。
ロードスターは海外でも売れているのでほめていましたが、売れない車はぼろくそでしたね。
つまり本のタイトルは「間違いだらけ」でも内容はまったくの逆
「みなさんの車選びはまちがっていませんよ」と太鼓判を押すものだったのです。
選択眼をほめられて多くの人が買ってしまう本でした。
しかし二番煎じは意外に出ませんでしたね。
このごろのように自動車が鍋釜のような日常の道具として定着してしまうと
あのタイプの評論と言うものも必要とされないのかもしれません。
車の雑誌も売れていないと思う。戦前昭和の初めから連綿と続くヨット、ボートの雑誌が今は売れないのと同じようにです。
ルマンの話に戻ると、観覧スタンドはもちろんあって真剣にレースを見ていた人も居るかもしれませんが
そこに行っていないので雰囲気を知りません。
コースの周りは、あれはなんだったのか腰の高さまでの塀があったように思います。
よほどのコーナーでなければ周りに人は居なくて、薄暗く閑散とした場所で闇をつんざくレースカーを見送りました。
涙が出そうなくらい哀しくてよいものでした。
全長十三キロのコースのほとんどはふだんは一般道です。レースのための舗装もしているかもしれませんが
フランスの道路はどこでもレースに使えるくらいの舗装になっていると思う。
そう書いたらこんどレンタカーでルマンに行きユーノディエールの有名な直線コースを走ってみたくなりました。
考えてみればこの夏、フランスに行ってルマンを通り過ぎたのですがぜんぜん意識しなかった。