WINCARS KURUMAYA KOZO
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このごろは車を運転していても何ヶ月もボンネットを開けないことがあるし
開けてもカヴァーでエンジンが見えず触れる必要もない。
そのことは僥倖なのかもしれないが寂しいことです。
今日はエンジンの話をすこしします。
わたしの幼時、昭和三十年ころの話です。
そのころ周囲にエンジンがある家は少なかった。
自動車を持つ家はよほどのお金持ちでしたし。
自転車に小さなエンジンをつけてパタパタという音を立てて走るのはよく見かけました。文字通りの原付。
エンジンを載せた模型飛行機も流行った(もちろんラジコンではなくピアノ線で引っ張るUコン機)。
それもお金持ちの遊びでしたが、せめてエンジン単体でも欲しいと中高生は小遣いを溜めた。
それほどエンジンに対する憧れの強かった時代です。
江田島で木工と建材の販売をしていた家で、家に船がありました。
フェリーのない時代で仕入れに使うトラックのような船ですが
先祖が海賊の祖父は船マニアだったかもしれない。
小さな機関室に聳え立つ一気筒焼玉エンジンを載せていた。
始動前に儀式かお祓いのようにヘッドをガスバーナーで焼いておくエンジンです。
高さ一メートルくらい、径三十センチほどだったのではと思うが
子どものわたしには巨大に見えた。
無塗装で油磨きの本体の周りにぴかぴかに赤銅の血管のようなパイプがくねくね張り付いていた。
全体の形はペニスに似て堂々としたものでした。
目の前で燃料ポンプかなにか、ガチャコンガチャコンと動くのを飽きず眺めていましたが
そのようすは今ならユーチューブの動画でいくらでも出てきます。
hot bulb engineで検索すれば。
北欧人にマニアが多く、エンジンの始動にどれだけ手間がかかるか見れば分かるでしょう。
一般の客船もそのころは船の中心に開放の機関室がどーんとあって
多気筒エンジン音のハーモニーを楽しむことができた。
アメリカのソウルミュージックはロックと同じようにアイリッシュのリズムが元で
必ずしもアフリカ系音楽とはいえないのですが
ユーロビートはヨーロッパに近いアフリカのリズムそのものです。
しかし同時にヨーロッパ人が子どものころから慣れ親しんだエンジンのリズムとも関係があるのではと思うこともある。
ちょっと古いがマティア・バザールを聞いてもエンジンの音にしか聞こえません。
ここにロイクソップというノルウェーのロックグループのCDがあって、そのサウンドもエンジンのリズムです。
ヨーロッパに行くと今もエンジンの文化が生きていて、観光地の客船や渡船で古いエンジンを見る機会があります。
日本にも次代の子にあえてエンジンを見せて音を聞かせる文化があればと思う。
日本でエンジンを見ることのできる美しい場所は横浜の氷川丸の巨大なエンジンルームです。
ただしエンジンは動きません。
わたしの生まれた家には「発動機」と呼んでいた汎用単体のエンジンもありました。
祖父が戦前、電気のない屋外の現場で木工機械を動かすために買ったもので
戦後は脱穀など農業機械を動かすためにレンタルしていました。
レンタルするくらい貴重で高価なものだったということですが、そのエンジンの始動も祭りの儀式でした。
うやうやしくオイルチェックなどしたあとに慎重に手でホイールを回すんです。
エンジンが、かかったときのみんなの喜び。
ぱんぱんぱんぱんとマフラーが甲高い音を立て、カムヘッドががちゃこんがちゃこんと動いてものすごい排煙です。
日本神話の天岩戸の前もこうではなかったかという高揚感でした。
マツダのオート三輪もありました。ハンドルはバイクと同じアームで始動もキックです。
エンジンがかかるとバタバタと激しい音を立てるのでバタンコと言うのです。
空冷V2で三菱のマークがくっきりとあったのを覚えています。
戦前戦中、一介の鉄工所に過ぎなかったマツダは陸軍の要請でトラックを生産しましたが
エンジンまで作る技術がなかったので三菱のエンジンを載せていました。
戦後のバタンコもエンジンは三菱でした。三菱には零式艦上戦闘機以来の技術がありました。
戦闘機の話のついでに、第二次大戦で戦闘機を大量に作って消耗した日米独の話をします。
アメリカの戦闘機も日本の戦闘機もエンジンの原型はメルセデスです。
そのコピーから始まったエンジンの性能は米独に比べ日本は遅れていました。
故障が多くパワー不足。理由は工作精度の低さです。
たとえば、ベアリングのボールを真球に作れないのです。
第二次大戦中の欧米戦闘機には液冷のエンジンが多くありましたが、日本でそれが少なかったのも工作精度の問題。
空冷星型に比べ液冷はクランクシャフトが長大ですが
長いシャフトを強靭に正確にまっすぐに作る技術が日本にはなかった。
長いシャフトはベアリングで何箇所も支えるが、日本のベアリングの精度もそれに耐えられなかった。
空冷星型はシャフトが短いのでつぶしが利きます。
そうでなくても液冷はトラブルを起こす確率が高く重量が重く戦闘機の機関としてのメリットは少ない。
にもかかわらず欧米で採用されたのはひたすら最高速のため。空気抵抗低減のためでした。
どのみちそのころの飛行機は故障が多く、故障したら不時着という発想です。
日本海軍の戦闘機は「海上を飛ぶ」というタテマエですから海上に不時着は困るので
トラブルの起きやすいエンジンは載せませんでした。液冷を採用しなかった理由です。
ついでに言えば零戦など海軍の戦闘機は海上に不時着しても浮きが自動で膨らんで沈を防ぐ装置を持っていました。
あまり効果はなかったようですが。陸軍は陸上を飛ぶタテマエで、故障してもよいと考えたのか液冷エンジンの戦闘機があります。
第二次大戦の初期と後期で欧米の航空機エンジンの進化には眼を見張るものがあります。
日本では精度のネックがあり、エンジンを高性能化できませんでした。
その代わり欧米になくて日本にあった技術は機体、つまりボディです。
軽く丈夫にできていたのです。軽量で堅牢な軽金属の開発に成功していたこと。
もうひとつは完全なモノコック化です。
モノコック構造は強度計算が複雑で、コンピュータのない時代にはほぼ不可能なくらいでした。
それを日本人はやったのです。欧米の発想では機体の重さはエンジンパワーでカヴァーすれば良いというものでした。
ボディを軽くするという発想は戦後日本の車作りに生かされました。
ついでに言うと(ついでの話が多いが)、アメリカの戦闘機と日本陸軍の戦闘機は防弾されていましたが
零戦のような海軍機はそれがなく、非人道的だとよく言われる。
真相は現場のパイロット自身が防弾を嫌い採用されなかったという話があります。
零戦は機体の軽さが長所ですから、厚い防弾で重量バランスを崩すと操縦性能が落ちるのでパイロットがいやがったのです。
もしかするとレーシングカーにも似たような話があるかもしれません。
わたしの読書は文系が多いのですが、さいきん読んだ理系の本で眼からウロコは
元マツダのエンジニアでエンジンコンサルタントの畑村耕一著「博士のエンジン手帳」でした。
日本には独自の進化でガラパゴス化し、つまり地球規模では通用しなくなっているものが多いのですが
自動車のハイブリッドなども邪道ではないかと思っていたら
この本によれば世界の潮流はエンジンのダウンサイジングしかないと。
そういうことだったのかと、知る人には当然なのかもしれませんがわたしには眼からウロコです。
あらためて言うのも癪ですが、ダウンサイジングとはパワーはそのままにエンジンを小排気量にすることです。
パワーがそのままでエンジンが小さくなれば走行性能は良くなり燃費も良くなるので良いことだらけです。
それなのに日本のメーカーはそれをサボっていたというのです。
わたしはシトロエンのC5に乗っていますが、日本に入っているC5の新車は1,6リッターです。
以前は二リッターと三リッターで、車の大きさと車格では
二リッターでも小さいのではと思うくらいなのに(じっさいには二リッターでよく走ります)
1,6リッター。エッ? と思うそのイメージだけで日本人はダウンサイジングを避けたのかもしれない。
じっさいに1,6リッターのC5には乗ったことがないので乗ってみたい。
ニューチンクチェンティもさすがに500(チンクチェンティ)はないが
1,4と1,2リッターからダウンサイジングして二気筒800(オットチェンティ)ccが出ていますよね。
それを言うなら日本の軽自動車はダウンサイジングをとっくの昔からやっている権化ではないかと言われそう。
それはそのとおりですが、初めにスタンダード(基準)ありきで、無理に詰め込んだ苦しさを感じます。
その証拠にびっくりするほど燃費が良いわけではない(つい最近ダイハツが出し始めましたが)。
マツダのロータリーも元のコンセプトはダウンサイジングにあったと思うのですが
それをあいまいにしたまま他社メーカーに潰されたのは残念です。
それより前にエンジンがどうのと言う時代ではなく、EV(電気自動車)が普及してしまう日も意外に近いかもしれません。
今の車もエンジンを意識することなく電動のように静かにスムーズに走るので
乗る側からすれば革命的な変化ではないかもしれない。
むしろエンジンの存在を強調するレシプロ車が、なんらかの象徴性を持つスポーツカーとして残る可能性があるので
それを見極めたいと思います。