WINCARS KURUMAYA KOZO
〒730-0847
広島市中区舟入南4丁目8-14
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今日は温泉について書いてみます。
ドライブはドライブだけでも楽しいが、目的があればもっと楽しい。伴侶とペアならもっと愉快。
その目的は田舎の民家レストランでも良く、ヨーロッパにはそんな場所がたくさんあってワインを飲んでも
飲酒運転にはならないが(ヨーロッパ人はアルコールに強い遺伝子を持つからでもある)
このごろ日本にも田舎にランチに行こうという環境はあります。
ほかの国にはなく日本独自のステキは温泉。
秘湯目指して山間を滑るように走るドライブはよいものです。
広島は温泉文化のなかった日本でも珍しい県でした。
穏やかな瀬戸内海で温泉に入ろうという気にならなかったからかもしれないし
それより前に広島県には温泉らしい温泉のほとんどない日本では珍しい県だったから。
その代わりむかしは海辺に石風呂、潮風呂というものがあって
そのトラッドで典型的なものは今もゆいいつ忠海(ただのうみ)に生きていて、ぼくもノン(妻)も好き。
それを目指して海沿いの188線の快走がすばらしい。それ以外の石風呂は温泉ブームの陰で忘れられ消えてなくなりました。
さいきんの広島の温泉ブームの一因は高速道路や地方道路の整備で
山口や岡山や島根県の温泉に日帰りで行けるようになったからで、とくに島根県の存在が大きい。
ぼくの子どものころは中国山地に阻まれ行くのも困難だった島根。
今では車を飛ばし県境を越えればまったくの異次元、山々に秘湯の散る島根県に日常的に行ける思えば夢のような時代になった。
ぼくも瀬戸内海の人間だから若いころは温泉にまったく興味がありませんでした。
温泉好きの東北地方の人の気が知れなかったくらい。瀬戸内海では風光明媚な海の岩場の海水浴がよく
六月から十月まで泳げました。
温泉に目覚めたのは三十も半ばになってからで、北海道や東北に仕事もからんでよく出かけ
そしてレンタカーを飛ばしてノンといろんな秘湯に行ってみたら、これは日本のすごい文化だと思うようになった。
自然に溶け込む日本の温泉はエコロジーで究極のヌーディストビーチで、脱俗リゾート。世界に誇りたい文化です。
印象に残る温泉は数知れず。ランクのつけようなく粗野(ラフ)なのは鹿児島沖
活火山で白濁する海に浮かぶ薩摩硫黄島の海岸の溶岩を掘っただけの露天風呂。
北海道の男女ひしめき合って入った二股ラジウム温泉は月世界のようでしたが、さいきん改装されむかしの雰囲気はないらしい。
そういえばニセコンヌプリの雪原の中の露天も良かった。
九州は別府明礬温泉の「温泉保養ランド」は広大な谷間全体が混浴の泥湯で
覗き見オタクが居なければこの世のパラダイス。
阿蘇山の山頂に近い地獄谷「清風荘」は日本にはこんなところがあると世界にアピールしたいくらい
ナチュラルでトラッドな湯治温泉場でステキでした。
ぼくの家から日帰りで行ける島根の石見、雲南は北海道や九州よりずっと身近ですが
じつは秘湯のパラダイスではとこのごろ思うようになった。
三瓶山の小屋原温泉、津和野に近い木部谷温泉「松乃湯」などマニアックな湯治場が多い。
マニアと言うなら、ぼくの家から三十分で行ける湯ノ山温泉も凄いかもしれない。
広島なので湯ではなく二十五度の鉱泉ですが、森と石段と崖のイメージは南アジアリゾートのようで南アジアにもない!
蘭と苔の自生する崖から流れ落ちる霊水にただ打たれるという無念無想の解脱の世界がバカンス。
これ以上シンプルにできないというほどエコでナチュラルなシステムは歴史と伝統のなせるわざです。
演出では真似できない。
日本に古くからある名所旧跡にしても神社など宗教施設にしても
自然さと伝統(naturality & tradition)ではこの国の右に出る国はない。
ヨーロッパのように伝統はあっても作為と演出の国が多いからです。
島根県に全国区の温泉地はありません。熱海も草津も別府も道後のようなところもない。
しかし自然さと伝統、真の意味でエコな温泉では、もしかすると島根は日本で最強のエリアだったのかもしれないと
このごろ思うようになった。
小屋のようなところでただぷくぷくと泡の出る源泉にじっと浸かり地球に同化するシンプルさは
滝と落ちる冷泉に打たれる湯ノ山温泉に通じるものがあるかもしれない。
初めて行った千原温泉です。
三瓶山の入り口、粕淵(かすふち)の近くで三瓶山にはいつも浜田自動車道から瑞穂(みずほ)経由で行ったけれど
今日は初めて中国自動車道高田インターから江の川に出て川沿いを飛ばしてゆきました。
瑞穂経由と違い大きな峡谷の風景で、ときおり過ぎる町や村も美しい。
村を行き過ぎるとき、「フランスの田舎に似ているね」と助手席のノンに言った。
島根に入ると屋根瓦は広島と同じ朱瓦だが、広島側の優しい入母屋の屋根ではなくなり
どっしりとした切り妻民家で日本海文化の迫力に変わる。
すばらしい道路で、峡谷なので長大なトンネルも多く豪快に飛ばします。
秘境のような村々をずっと鉄道の線路が延びていて「模型のジオラマのよう」とぼくは言う。
千原温泉に近づくと山里のイチョウの落ち葉で黄に染まる神社の前にいきなり踏切のあるシュールな風景もあった。
その前の伝統民家は食事を供するらしく、早いお昼をしたかったが予約制とのこと。
すばらしい道路が、温泉手前で盲腸のような袋小路のジャングル道路になって、その果てにぽつんと一軒
清流のそばの小さな建物のたたずまいが、同じ三瓶圏の小屋原温泉に似ていました。
入湯料の五百円を払うとき、女主人に「一時間程度の入浴にしてください」と言われた。
「三十五度なので上がるとき冷えるようでしたら沸かした五右衛門風呂で温まってください。
五右衛門風呂は男女共用なので入るときに声を掛けてください」
ほかの秘湯同様に設備はなく、階段を下りてゆくと半地下にカルシウムのこびりついた古い小さな浴槽があるのみである。
湯は茶ににごり、先客ふたりのオジサン(混浴ではない)が居て、三人並んで浸かるとほぼ満員。
底が木の板のスノコ状で炭酸ガスの泡がぼこぼこと湧いてくる。源泉のままの自然のジャグジー。
泡のやわらかな刺激が、伸ばした身体全体を包んで気持ちがよい。湯温は三十五度しかないのに
体温より低いとは思われないほどここちよく、身体がほてることもなく永遠に浸かっていられそうなくらい。
両側のおじさんはふたりともに目を閉じ、死んだように身じろぎもしない。
壁にも「一時間程度にしてください」と注意書きがあり、ただ無念無想のまま、禅の修業のように
何もせず湯に浸かったまま一時間も居られるのだろうかと初めは思うが
しばらくじっと顔まで浸かっていると二時間でも三時間でも居られそうと思うようになった。
究極のシンプルと完璧な仕組みはエコでナチュラルで日本の伝統の成すわざである。
湯ノ山温泉の落ちてくる冷泉にひたすら打たれて地球に同化するシンプルで完全なシステムを思い出す。
古ぼけて何の設備もない温泉が、これ以上変えようなくじつによくできていのです。
無想のまま、予想外に時間の経つのが早かった。
板壁の向こうからオバサンの声で「上がります」と聞こえたら、ぼくの隣のオジサンが「オウ」と答えて上がって行った。
ぼくが四十分浸かって五右衛門風呂にも入らず上がってしまったのはどうしてもオシッコがしたくなり
建物の中にはトイレさえなかったから。
外のトイレで済ませ、森をすこし散歩して玄関脇の小さな座敷で休むのが心地よかった。
縁側の戸のガラス一枚向こうに大きなヤスデがあり白い花が咲き、おびただしい数のスズメバチとほかの小虫が
ぶんぶんたかって飛び交うのが見えた。デビット・リンチの「ブルーヴェルベット」のワンシーンのようだった。
湯の谷から逃げるように帰途につく。来た道とは逆に粕淵、川本町、瑞穂経由で。
合併で美郷(みさと)町というつまらない名称になった町の中心はほんらいは粕淵で
往時は江の川沿いの宿場として繁栄したらしいが今はほぼゴーストタウン。よい町並もあるのに惜しい。
正面が壮大な寺で右が背後の津ノ目山を借景にした大名屋敷のような料理旅館「亀遊亭」。
左は本陣の面影を残す民家、そのとなり寺の山門前に良いデザインの古い洋館がある。
テーマパークでも作れない伝統ナチュラルな、すばらしい日本の町。
寂れた商店街に「交流センター」を作って死にもがくより、こうした一角に地域おこしでもすればよいのに
そんな知恵はない日本のこれもナチュラルな美点です。すごい。
シトロエンC5をスポーツモードにして山間を飛ばし広島に向かいました。