WINCARS KURUMAYA KOZO
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今日はアルファロメオのことを書いてみましょう。
若いころはずいぶん映画を見ました。
とくにフランスのジャンリュック・ゴダールとイタリアのルキノ・ヴィスコンティが好きでした。
ゴダールは「気狂いピエロ」と「軽蔑」が二大傑作ですが
二作ともアルファのジュリエッタ・スパイダーが重要な道具です。
「気狂いピエロ」は数千本と見た映画の中でわたしのいちばん好きな映画で
南フランスの風景が呉や江田島のようにわたしには見えるのですが
色彩のきれいな映画で六十年代世界の名車がぞろぞろ出てくるので
車の好きな人にはそれだけでも必見かもしれない。
ヴィスコンティは広島なら浅野家のようなミラノの殿様で、というよりミラノですから徳川くらいの家柄の人。
アルファのエンブレムはヴィスコンティの家紋なのですが
ヴィスコンティの映画にアルファはほとんど登場しない。
「ロッコとその兄弟たち」でロッコが季節労働者としてアレーゼのアルファの工場に勤めるシーンがあるくらいです。
昔の話ですから工員はもちろんアルファなんか持てません。市電で通勤するのです。
ヴィスコンティの映画で印象に残る車は「熊座の淡き星影」で
トスカーナのヴォルテラの城主の娘が(クラウディア・カルディナーレです)
運転してヴォルテラの坂道を登ったBMWのなんとかいう何百台かしか生産されなかった
アメリカ向け超高級オープンカーです。そのシーンに惹かれて同じ坂を運転して登ったことがある。
シトロエンのAXなので雰囲気もなく、あっけなかったのですが。
そのころ漠然とアルファロメオの盾形グリルに憧れていましたが
1983年のある日、通りがかりにぼろぼろにアルファ錆の浮かぶ
右ハンドルのジュリアの「段つき三本」(※)のプライス四十万を見て驚いた。
そのころどんな状態のジュリアでも百万以下では入手できなかったから。
珍しく衝動買いしたくなり、動くのか車屋に聞いたら「実用にはなりません」と断裁なさった。
でも実物大のブリキのおもちゃだと思って買いました。
買ってみたら近所の用に使えるくらいは走りました。買ってしばらく、家人がやけどで数日入院し、
その見舞いにジュリアで行く途中ジュリアもやけどした。
冷却水のホースが抜け落ちているのを知らずオーバーヒートです。
ジュリアも入院しヘッド研磨のついでにタイミングの調整、ブッシュ交換、コニダンパー、その他ほんのすこし手を入れたら
たちまちスポーツカーに変じて驚いた。内外装はぼろぼろのままで。
ボンネットを開ければDOHCカムカバーのそばにウエーバーの二連カーボレーター。
シートに座ればヘッドレストもベルトもない小さなバケットが身体をすっぽり包み込んだ。
そのころアルファに乗るのは愛人を囲うようなものという話もあり
確かにめちゃくちゃな事件もあったのですが書けば一冊になりそうな良い思い出です。
それでも意外に書いた火傷以外にレッカーで運ばれた記憶はありません。
作家の五木寛之氏はジュリア(とくにスパイダー)をヴァイオリンに例えられましたが
弦楽器ならもうすこし太いチェロだとわたしは思う。
ここでジュリエッタとジュリアの違いを説明しておきましょう。
戦後アルファロメオが新しい車を開発したとき、車の名をジュリエッタにしました。
言うまでもなく「ロメオとジュリエッタ」になぞらえたのです。
ジュリエッタをモデルチェンジしたのがジュリアで
ジュリエッタのお姉さんの意味。「~エッタ」は「~ちゃん」の意味で
女の子が成長するとそれが取れてジュリアになる。
女子から女になったというストーリーです。
ジュリアのシリーズでマニアの人は「弁当箱」のTIを連想するかもしれませんが
ふつうジュリアといえばクーペのGTVです。グランツーリスモヴェローチェ。
高速で行く大旅行。わたしの「段つき」は1,6リッターのエンジンが1750に置き換えられていて
基本的に回すエンジンではなくトルク型の走り、足回りもストロークがあってしっとりとエレガントでした。
カーブはよく曲がりました。
ヨーロッパは日本とは根本で違う階級社会ですから高性能車は量産しない(できない)というコンセプトでしたが
それを初めて量産したのがアルファです。ヒットラーのライバルのムッソリーニ総統によって国有化され
ヒットラーがフェルディナンド・ポルシェ設計の国民車製造のためにフォルクス・ワーゲンを立ち上げたのとは対照に
(競争といってもよい)、アルファは前後見境なく高性能車の開発ができたのでした。
エンツォ・フェラーリが、技術主任でした。
アルファ錆の浮かぶわたしのジュリアも、宗教的かつ高貴な雰囲気を持ち合わせていたものです。
その点は現在のフィアット傘下のアルファとは根本が違います。
ヘンリー・フォードがアルファの車の前では頭を垂れると言った話は単純に性能に対するレスペクトではないのです。
わたしのジュリアは67年式で、妻ノンと同じ歳でした。彼女が二十代前半、
わたしが三十代後半のころ、ジュリアでふたりあちこち出かけましたが
そのころのノンはゴダールの映画に出てくるアンナ・カリーナみたいだった。
それがどんなキャラかは「気狂いピエロ」や「はなればなれに」を見てくださいとしか言えない。
わたしのジュリアの別れはあっけないものでした。
あまりに見苦しいボディを軽くレストアしようと車屋に出したら
見積もりが安すぎて車屋さん途中でいやになったのか、ボディが裸にされたまま放置されたのです。
その間何ヶ月も代車に初期型パンダを借りていましたが
これでいいやと思い、ジュリアと交換しました。
「アルファとパンダを交換?」と言って驚く人も居ましたがわたしには自然なことでした。
初期型のパンダです。ござのようなシートで
リアシートはハンモックでリアサスが板バネでラジオも何にもついていない空っぽの。
グロス四十五馬力の。性格はジュリアの真反対。階級社会の最底辺です。
だからこそダイアナ妃など高貴な方々は避暑地でひそかにパンダを自ら運転なさったらしいのですが。
よく回るエンジンとトラックのような足回りで市街地ではカートもしくはフェラーリ状態でした。
ジュリアが礼拝堂ならパンダはバカンス丸裸のキャンプでした。
実際に裸のミニモークと違い、屋根も壁もある小屋のようなパンダは高貴な人にちょうど良かったのかもしれません。
しっとりとしたジュリアには、また乗ってみたいなあと思うことがあります。
(※)「段付き三本、寄り目」とも言い、63年から生産されたジュリアGTV低年式の愛称です。
ボンネットフードの前部に段が付いているので「段付き」。
後期型は段がなくスマートですが、段付きのほうが表情が有って好きと言う人は多い。
低年式GTVには1,6リッターと1,3リッターの「ジュニア」があり
グリルの横バーの数がジュリアは三本、ジュニアは一本なので「三本」は1,6リッターのことです。
丸型ヘッドライトの横にスモールランプが縦向きにあるのが初期型。
下に水平にあるのが後期型で、縦向きを「寄り目」と言う。