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Konaさんくるまよもやま話

 

 21.カーナビについて

 今日はカーナビのことを書きましょう。
陸地の日常世界に平穏に暮らしているぼくたちには想像できにくいことですが
じつは世界中の海を漂いながら航行する全長十メートルそこそこのヨットが数千、もしかすると万の単位で居ます。
乗っているのは一人から数人までのチームですが、多いのはダブルハンドと言って二人組みで、夫婦か恋人同士の男女ペアが多い。ほとんどが欧米人ですが、日本人も少なくはない。
ぼくはそんな航海をしたことがないので想像もできないけれど
昔は死出の旅のようだったヨットの外洋航海も今は自動車の運転より簡単だそうです。
ありとあらゆる航海機器がそろっているからで、中でも恩恵はGPSかもしれない。
太平洋を横断するにしてもおおかた推測航法だったものが、いまは数メートルの誤差もなく位置が瞬時にプロットされるので。
瀬戸内海のようにいつも陸地の見える海を走る船はどこを走っているかおよそ分かりますが
外洋を走る船の位置測定はGPSの普及するつい最近まで大変でした。
ロランなどの電波航法もありましたが、それさえなかったころは六分儀で北極星や太陽の高度を測って計算していたのです。
じっさいには観測も計算も高度、正確な時計も必要で、電卓さえない時代に本格的な船舶や軍艦でなければ
毎日の天測は無理だったと思います。ヨットのような小型船はほぼ推測航法で、そう昔の話ではありません。

戦後しばらくまで瀬戸内海の流通を支えていたのは機帆船でした。
汽船ですが帆も持っていて、エンジンの力と風の力とコラボして走れば燃料節約
波風のあるときは帆を張るほうがエンジンだけで走るより安定したのです。
乗員は船長と機関員だけ、昼夜問わず二交代で走っても四人までだったでしょう。

戦前の話で日中戦争が始まってから、上海のほうに儲け話があるといって
多くの機帆船が瀬戸内海から東シナ海を越えて行きましたが、その航海も推測航法だったかもしれない。
五島列島からほぼ真西に七百キロで上海なのでむつかしくはありません。
緯度を保ちながら八ノット(時速15キロ)を維持すれば四十八時間くらいで上海の近くのどこかに着きます。

千年前の遣隋船や遣唐船も遣宋船も同じように行ったので今の我々の考えるほど困難な航海ではなかったようです。
記録によれば遣唐船の多くは五島から三日くらいで東シナ海を越えています
(中国に着いてから西安まで内陸水路の航海のほうが大変だったんです)
それしかなかったころの人間のカンと言うものは凄かっただろうと思います。

飛行機は燃料が尽きると墜落ですからカンだけに頼っては飛べません。
かといって一人乗りの戦闘機で位置確認の複雑な計算などできませんから九州から沖縄に向かう
大戦中の特攻機はトカラ列島や奄美列島の島を見ながら編隊を組んで行く航法が主でした。
荒天で島影が見えず迷子になったら最後ですから、特攻機も天気が悪くなると基地に引き返しました。

今の船や飛行機にとってGPSは天の恵みのような装置かもしれない。
自動車の場合はどうでしょうか。
砂漠を行く車には必要かもしれない。
車を運転しているときのぼくは運転に集中しているし、余計な情報は不要で、液晶画面と言うものが嫌い。
それがあると車がどうしても下品に見えてしまうんです。
まあ、古い人間というだけのことかもしれません。今の新車は必ずといってよいほど液晶画面がついていますが
デザインで上手に処理されたものをあまり見たことがない。
ましてぼくにとってカーナヴィは外道(テレビにいたってはアンビリーヴァブル!)。
知らない土地を車で行くときぼくが頼るのは路上の行き先案内の表示です。
欧米ではそれだけでどこにでも行けるくらい有効ですが、日本のはバカじゃないかと思うような表示が多い。
あれは道路行政の官僚が設置しているんでしょうか。
日本の役所にソフトの感覚がないという証明です。日本ではそれより地図が頼りになり、地図がなければカン。
地図があってもほとんどカン。地元の人に道を尋ねるという最後の手段もあるが、これはあまり役立ちません。

レンタカーでナヴィが付いていると試しにと思い使ったことはありますが
ナヴィ情報と周囲の風景の温度差にカンが狂い混乱するので今は付いていても使わないことにしています。
外国に行くとあらかじめ地図を用意することができず、ほとんどカンで行くのですが、ドラマティックでなかなか楽しいものです。
迷いの道に大げさに言えば人生のようなものがある。
矢印だけに導かれる人生と言うものはどうなのか。

タクシー会社の中にもナヴィを採用しない会社は多いらしい。
費用の問題もあるけれど、じっさいの状況に応じた運転手のカンが狂うのと
乗客とのコミュニケーションに支障をきたすことがあるかららしい。
ところで、地図は文章と同じように「読む」と言うくらいで読めない人も居ます。
日本人は地図を読めるのが当たり前と思っていますが、海外には地図を読めない人はふつうに居ます。
インドや中国でタクシーに乗って地図を見せて「ここへ」と頼んでも必死に見てくれますが
じつは単に通りの名を探しているだけで地図は見ていない。
地図の読めない人もナヴィは行き先を矢印で指してくれますから、それに従うだけでよい。
考えてみれば馬鹿にされたような装置です。
よく方向音痴だという人が居て、とくに女の人に多いのですが頭の中に地図のイメージができていない人で
「地図がわからないんです」と告白しているようなもの。

妻ノンもびっくりするほど方向音痴な人でした。呉と岩国が同じ方向だと思っていたくらい。
宇品港が広島市の北にあるのか南か知らなかったくらい。
そういう人が、長年のペーパードライバーに終止符を打って
ひとりで車を運転するようになったらどうなるんだろうと 心配したものです。

心配には及びませんでした。詳しい地図帳をいつも車に積んで必死に地図で確認しながら
あちこち出掛けているうちに強度の方向音痴が嘘だったように地理感覚が養われたんですね。
必要に迫られ学習すればこれほど強いものはない。

地理に詳しくなったどころか、この道路はこのレーンを行けばスムーズに行くなどその場の情報も自然に知悉している。
いま、とくに女の人は「文明の利器がある」などといってすぐナヴィに頼ってしまいますから
方向音痴の根のところが解消されないと思う。
人間にはいろんなカンが必要なんです。
妻ノンもナヴィが欲しいと言ったことがあるのですが
一度それをつけてしまうと人間の感性が自由になれないとぼくが言って付けませんでした。
ナヴィなしでなんの問題もありません。



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