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Konaさんくるまよもやま話

 

 16.フェラーリとマゼラティーを試乗した話

 フェラーリを試乗した話。
フェラーリには助手席さえ座った記憶がなく、初めてハンドルを握りました。
ほんの短時間、エンジンもさほど回していないので運転したうちに入りませんが。
85年式のフェラーリの308です。
外観からのぼくの直感でもフェラーリピークのいちばんフェラーリらしい車ではないかと思い
フェラーリをどうしても一台選べといわれればこれと言いたい308。

初めからぼくが運転したかったのですが、「暖機するので」と言われてしばらく助手席に座った。
車庫は偶然ぼくの前の奥さんの実家の跡でした。
その邸宅は跡形もないが周囲の下町は変っていなくて車庫の前が昔ながらの狭い電車道。
ぼくは「フェラーリで電車道を走るとイタリアみたい」と言った。
「ローマやミラノにも電車道はあって、フェラーリが絵になるんです」

線路のある通りを行くとわくわくする。

308のキャビン内部は古いという以外には普通の印象。
大昔のオート三輪のようなゲート付きシフトバーが特徴ですが
スーパーカーだからといって奇譚(エキゾチック)なところはありません。
フレンチのアヴァンギャルドで乾いた感じ、イギリス車ドイツ車のメカな雰囲気よりもしっとりとしているのは
ぼくがむかし乗っていたアルファのジュリアに共通する。
若干カトリックの雰囲気はあります。パイプオルガンの演奏台の雰囲気と言っても良い。

こうした印象はイタリア車にとってはなかなか大事なことで、オペラ的要素と言っても良く
それを理解しなければ高回転の延びやエギゾーストの歌い上げるチェロのような声質も味わえない。

走り始めた運転手は五速までしかないミッションを三速、四速まで上げて走るので
ぼくなら電車道をほかの車を蹴散らしながら二速七、八十キロで走るんだけどと内心は思いました。

広い道路でぼくの運転に代わると、「エンジンをオーバーホールしたばかりなので四千までにしてください」と言われてエッ?
と思い、それではフェラーリの意味がないなあと思った。
市街地では二速五千回転でないと308は走らないでしょう。

ミラーでパトカーの存在を気にしながら飛ばしたかったんです。

それでも思わず五千までは回しましたが。

シフト四速まで上げて平坦で広い道路を行った感想をひとことで言えば、「重い」ということでした。

広島内陸の田園の勾配のあるきれいな道路を五千rpmの百キロくらいで走ればクォーンと
背から沸きあがる音とともに気持ちのよい走りができるかもしれない。
あるいは南フランスの海岸のくねくねみちを走ればアドレナリンの出る走行ができるのかもしれませんが
街のトロトロでは重くて鈍い。

むかしわずか四十五馬力の初期型パンダに乗っていたとき
「街中ならフェラーリより速い」と人に言ったことがあるが、もしかしたらほんとうかも。
初期パンダは、ゴムのようなシフトレバーの操作でめちゃくちゃ回るエンジン
反応の良いステアと足もしっかりで軽快でしたから。

308のころのフェラーリは乗り手を選ぶような印象でどこの文章でも書かれていましたが
そんなことはなく運転してもフツーでした。
これもまたぼくが乗っていたプジョーの309GTI初期型と比べてしまうのですが
それはじつに変った味付けの車でしたから、フェラーリ308は外観に似合わず操作感は普通です。

その外観もフェラーリの中ではけれんみなく少女のようでいちばん美しいと思っていたのに
あらためて見るとフロントが膨れすぎではないかと思った。
もうすこし幼児体形の女でもいいのですが。

でも、広島内陸の安芸高田市や島根の邑南町の広い盆地を駆け抜けるためだけに
フェラーリ308のような車を持っていても良く、旧豊平町の蕎麦の「達磨」に行くために308があっても良い。
スポーツカーを超えたクルーザーの幸福感、快感があるのではと思います。

そうした車を持つためにはヒロシマは恵まれた環境です。
日常離脱という意味ではランボルギーニは祭りの山車のような記号性を持っていて特別ですが
山奥の秘湯に通う足にはフェラーリがふさわしいかもしれない。
プライベートカーではランボルギーニよりフェラーリかもしれない。

持てればの話。
しかしフェラーリのような車にすこしでも乗ってしまうと、つぎはライトウェイトスポーツに乗ってみたいと思う。
これも乗ったことのないロータスの、むかしのエランやヨーロッパや今のエリーゼです。

308試乗の数日後、ゴダールの映画で見たことがない「右側に気をつけろ」(1987)を見に行ったら
冒頭にいきなり308が登場しました。
白痴閣下と呼ばれる映画監督(ゴダールじしん)が黄色い308の助手席に乗ろうとするがどうしても乗れない。
ついに窓から飛び込んで乗るが、すこし行ったところで映画のフィルム缶と一緒に投げ出される。
308は爆音を残して去る。そこにマダムの車が止まり、金属製のフィルム缶を「きれいね」と言う。
その車は一部しか映りませんでしたが一瞬ぼくはシトロエンのエグザンティアだと思った。
しかし87年の映画で時期が合わず謎。
車の婦人が白痴閣下を助けるのかと思ったら置き去りにして行った。
ただそれだけの冒頭シーンです。あまり意味はありません。

しかしヨーロッパ映画でヨーロッパの車を見るのはいいものです。
その映画ではたぶん六十年代メルセデスの真っ赤な二座オープンも登場した。
男女のうち女のほうはジーン・バーキン扮する馬鹿で謎の女です。

 マゼラーッティを試乗した話。
フェラーリを運転したほんの数日後、マゼラッティを初めて運転しました。日本ではマセラティというのが正式らしいが、わたしの中ではずっとマゼラッティで、イタリア人の発音もそれなのでマゼラッティで通します。

新車はクアトロポルテ(四ドア)とGTクーペとオープンが有って価格は千六百万から二千万します。
運転したのは試乗用セダンのクアトロポルテで三千キロしか走っていないほぼ新車。
むかしからフェラーリとの関係が深かったメーカーですが、今のマゼラッティもフェラーリのエンジンを積んでいるのが売り。
ぼくが試乗したのは四リッターV8なので数日前に乗ったフェラーリ308のエンジンと時代は違っても同じものです。

ディーラーショップ長のTくんがエンジンを始動し駐車場の奥から出しました。
ブオブオンブオンブオンとフェラーリの音です。
「いい音がするね」と思わずぼくは言った。
「セダンでここまでサウンドを強調した車はほかにないです」

わたしの運転で車の通行の多い街の道路に出ました。オートマですし、何の違和感もなくフツーの車です。
道を間違えて路地に入り込んだりもしましたが、取り回しも問題なくフツーに軽く走ります。
広島湾を見晴らす大パノラマの高台の団地を目指してハイウエイを駆け上がる。
アクセルを踏み込むとフェラーリサウンドとともに凄絶な加速ですが、過激さは皆無。

「いい車だわー。よくできている」とぼくはTくんに言った。
「良かったです」
「いい意味で過激さはないね」
「これの出た2004年式のころはトラブルも多くめちゃくちゃだったんです。今はべつの車になったようにいいです」
「初期型はそういうところがある。フェラーリの308の街乗りは重かったが、これはすごく軽く走るし足回りもよくできている。
日本車はこの足回りを目指しているのだろうが安っぽさがある。
エグザンティアのハイドロのフィールに共通するものがあるが、それよりベルベットの肌触りのような繊細なやわらかさがあるね」

排気音以外にこれと言った個性がないこと、欠点のないことがむしろ欠点かもしれない。

「意外なくらい良い。ブレーキのタッチもいいし、ハンドルも軽くも渋くもなく気持ちいい。楽チンにヒルクライムする。
でもC5は八十万で買ったから二十倍の価値があるかと思うと微妙よね(C5新車時の三百五十万でも五倍)」

「それなんです。車は車ですからね」
キャビンの広さもC5と変らず、感覚的には狭く感じるくらい。
「中はすこしなんとかしてもいいね」とぼくは言った。「むかしのマゼラッティのほうがデザインは品格があった」

マゼラッティ伝統の縦眼の形のアナログ時計よりほかにダッシュ、コンソールに特徴はなく、中央に液晶パネルが凡庸にがんばっているのにオーディオがボーズの古いタイプで、前席にも後ろ席にも
どうだいと言わんばかりのカップホルダーの付いている安っぽさはイタリア車だから文句はないにしても。
カーブの坂道を高速で登るとき
Tくんは「スポーツモードにするとマフラーのヌケが良くなって音が変るんです」と言ってボタンを押した。
排気音が増しクオオーンと走りもパワフルになるのがはっきり分かる。
「はっきりしているね。でもぼくはノーマルのほうがいい」
「ちょっと演出がありますね。街中でスポーツモードにすると気恥ずかしいです」

ショップに帰還し、ヴィトンやエルメスのショップと同じようにマゼラッティ本社の指示に寸分たがわず
造作した近未来的ショールームのガラス張りの二階から、セダンとGTとオープンの車を見下ろしながら二人はたたずんだ。
手にするコーヒーカップもマゼラッティのオリジナルである。
「よかった。お金やるから一千万以上の車をどうしても買えと命令されたらこの車を選ぶかもしれない」
「いい車です」
「ベントレーは重い?」
「重くて曲がらないです。マセラティは前後の重量比が五十五十で理想なんですよ」
「最近のベンツは乗ったことがないが、どうなんだろう」
「軽快さはないですね」
「マゼラッティはダサイところもあるが、その鷹揚さも悪くないし、シートなど造りがいいから基本は良くできている」

ショップを出たぼくはシトロエンで道路に出て、マゼラッティでしたようにアクセルを深く踏み込んで加速してみた。
二リッターの直4は四リッターV8には負けるがストレスない加速で、足回りも平滑な道路ではすばらしい。
マゼラッティと違い静かに速さを意識させずに加速する。
必要にして充分な車と思いながら家に帰ったけれど、今はマゼラッティ・クワトロポルテの
一見凡庸なのになんとも言えない豊穣な魅力が思い出され懐かしく思われた。

ベルベットの足、重くも軽くもない指一本で操作できるハンドリング、フェラーリのサウンド。
すこし引いていて、個性と才能はあるのに恥ずかしがりの少女。
上質な走りと、どことない野暮ったさの共存するのはイタリアものの特徴と言ってもよいかもしれない。

むかし乗っていたアルファのジュリアにまた乗りたいと思うことがあるが通じるものはある。
ちょっと欲しいと思った千七百万円のクワトロポルテだった。



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